東京家裁八王子支部は、同級生の女子高生を殺害した16歳の少年を検察官送致(逆送)する決定を下した(朝日3月8日朝刊)。今回は、この辺りのことを少し解説したい(なお、少年審判でいう少年とは未成年者ということだけであって、男の子に限られず、当然少女を含む)。
まず、刑事裁判と少年審判の違いである。
この二つの手続きは、裁判官が主催する犯罪認定と刑罰に関する手続という同じ様なものだとお感じになっている方が多いかと思うが、そして、それは一面当たってはいるのだが、実は理念的にも手続き的にも大分違うものなのである。
まず、刑事裁判は、地方裁判所(犯罪によっては簡易裁判所)が成人に対して犯罪を行ったか否か行ったとすればどれだけの刑罰が科されるべきかを判決で定める「刑罰」手続きであるのに対して、少年審判は、家庭裁判所が未成年者に対して犯罪を行ったか否か(他に犯しそうか否か−虞犯)行った場合どの様な保護をなすべきかという「保護」手続きというものなのである。
成人の場合は、罪を犯していない若しくは犯したという証明が出来ない場合は無罪、そして罪を犯した場合は罪に応じて死刑・懲役・禁固・罰金・科料という刑罰が具体的事情に応じて法定刑の範囲内で長短軽重の差を付けて科せられるが、この刑罰の本質については応報刑主義(やっただけのことに見合う償いをさせる)・教育刑主義(罪を犯した人格の改善を図ろうとする)という考え方の対立が見られる。死刑を残す日本の刑法では応報刑主義と解するのが素直だろう。
この刑罰主義の成人の手続に対して、少年の場合は、罪を犯していなければ審判不開始・不処分、罪を犯した場合は保護処分(保護観察・少年院送致・児童自立支援施設送致・擁護施設送致)がなされ、なお中間的なものとして試験観察というものがある。この場合の少年の保護処分というのは、成長期の少年の人格の可塑性(要するに少年が持つ幾らでも変わって行ける性質・成長して行ける性質)を基本にして、少年の立ち直りを促すのに一番良い処遇を決めようとするものであり、やったことの報いを応報的に受けさせるという成人の場合と、理念が根本的に異なるのである。例えば、少年院送致は刑務所への送るのと訳が違う。
ところが、成人と少年を橋渡しする中間的な対処として「逆送」というものがある。これは、少年にも刑罰を科すべきだと家裁の裁判官が考えた場合(もちろん少年法の規定に従ってということだが)、保護処分ではなく検察官に戻し(つまり逆送)、刑事手続きの方に乗せることが出来ることになっている。
少年犯罪の凶悪化に伴い厳罰を以って臨むべきだとする意見に負けて先年少年法が改正されたが、実は凶悪化というものが真実なのか一部の特異な事件を取り上げて少年事件全体の傾向であるかの如くしてしまったのか尚批判は燻っている。
そもそも理念的には、上述の通り少年法は少年に「刑罰」を科すのではなく立ち直るための「保護」をなすべきだとするものであったのだから「重罰化」というのは少年法の自殺とも言える。その重罰化傾向の一つの現れが、逆送を原則とすべき場合の明文化。細かくなるので省くが、冒頭上げた16歳少年の処遇はこの改正法に基づく。
いずれにしても、最近のマスコミの少年事件の取り上げ方はセンセーショナルに過ぎる気がしている。