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判例解説インデックス

2006.07.08(土)

トンネルじん肺で国に責任

裁量の幅はなくなった

トンネル建設の公共工事で働き、じん肺になった患者らが原告となって国に損害賠償を求めた裁判で、7月7日、東京地裁は国の責任を認めた(朝日夕刊)。

新聞記事によると、1986年当時の段階で、じん肺防止に関し、労働大臣は適切な措置を講じる義務が生じ、裁量の幅はなくなった、という理由の様である。

判決文を見ていないのだが、ここで「裁量の幅はなくなった」と新聞記事が要約していることについて、触れる。

これは「裁量権収縮の理論」等と呼ばれる。

行政は、三権分立の建前から内閣(政府)に任されるのが原則である。しかし、行政権の行使が完全な自由ということはあり得ず、法治行政の原則から、当然、法に従って行われなければならない。ただ、法に従うといっても、どんな行政作用も全て法で事細かに規制できる訳ではないので、法が大枠を決めて、その大枠の範囲内であれば、どの様な行政行為を行うかは文字通り政府の「裁量」に任されている。その「裁量」権の行使について、当不当の判断は裁判所は出来ない、とされている。裁判所が判断出来るのは、違法か適法かのレベルである。そこで、当不当と違法・適法はどう違うのか、という問題になる。余り適切な比喩ではないが、わかり易い例として私が良く使うのは、薬の適量である。例えば、ある症状があるときに、ある薬を5グラムから10グラムの範囲で使用出来るとされ、5グラムに足りなければ使用効果が全くないし、10グラムを超えて使用すれば障害が生じる、という場合、5グラムから10グラムの範囲内の6グラム使用にするか9グラム使用にするかは医師に任されている。文字通り匙加減である。この例で言えば、この匙加減の部分が当不当であり、5グラム未満・10グラムを超える使用が違法・適法の問題と考えて良い。そして、裁量権=匙加減を決める権利と理解して貰えば良いと思う。

このうち、裁量権を行使した結果について、当不当や違法・適法の問題かを裁判所は審査するのだが、裁量権を行使しないことについては、裁判所の判断は容易ではない。どんな匙加減の政策が可能かを決めるのは本来行政権の役割なのだから、ある政策を執らなかったことが直ちに違法であると裁判所がいうことは出来ない。しかし、様々な事情を根拠に裁判所から見ても、ある政策を執るしかないとして裁量の幅がなくなったし、その政策を執る法的義務があると認定できれば、その不作為は違法と評価することができる。

本件では、その様な場合に当たるとされたのであろう。